シニア(年長)収穫祭
1日目:稲刈り・魚のつかみどり

春に植えた苗が立派な稲穂に成長しました。
これからみんなで稲刈りを行います


みんな上手に出来てるよー。
お仕事の後のママが作ってくれたお弁当は
最高においしいです。
みんな、一粒も残さずに頂きます。




シニア収穫祭2日目①:クロスカントリー大会

特設コースで走ります。
*今年は、翌日が雨予報だったので、初日に実施しました。
自分との闘いで自己ベストを目指します。

一歩一歩進めばその分ゴールが近づきます

持てる力を振り絞って走ります。
シニア収穫祭2日目②脱穀・精米見学/奉納
もみってなぁに?玄米って聞いたことあるけど??
もみ殻???脱穀?精米?
朝から頭をつかってたくさんお勉強しました。

日頃の感謝を込めて
*保護者の参加は自由です
たくさんの事を学んだ1泊2日でした。
実体験には、ビデオやYouTube、VRなどでは体験できない、圧倒的な感動を得ることが出来ます。
コロナ禍でありながら、体験学習キャンプを実施するのは、
子どもたちの、みずみずしい感性を伸ばすための「圧倒的な感動体験」のためです。
現地の皆様・保護者の皆様はじめ、関係各所の皆様、バディの活動にご理解とご協力頂き、感謝申し上げます

実るほど頭を垂れる稲穂かな
「立派な人ほど謙虚な姿勢である」
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味は、「立派な人ほど謙虚な姿勢である」です。稲が成長すると実を付け、その重みで実(頭)の部分が垂れ下がってくることから、立派に成長した人間、つまり人格者ほど頭の低い謙虚な姿勢であるという事を指すことわざです。
「頭を垂れる」という言葉自体に「相手に敬意を払って自分を謙る」という意味があるので、稲が立派に成長するに従って、稲穂の部分(稲が実を付けている部分)が垂れ下がってくる様子を、稲と稲穂を成長していく人間に例えています。
読み方は「みのるほど こうべをたれる いなほかな」
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は「みのるほど こうべをたれる いなほかな」と読みます。こうべは「頭」や「首」を意味し、首を垂れて頭を下げるという状態を指します。
また「実るほど頭を垂るる稲穂かな」や「実るほど頭の下がる稲穂かな」など、細かい部分で表現の異なる言い方もあるようです。
「人としてのあり方」を稲穂に見立てている
若い緑色の稲はまっすぐに天に向かってすくすくと成長し、やがて実を付ける稲穂に成長します。更に稲穂の中の実(お米)が成長してくると、そのしっかりとした実の重みで自然と稲穂の部分が垂れ下がり美しい黄金色になっていきます。その過程では、強い風雨にさらされたり、冷たい日や暑い日を乗り越えなければ、立派な稲に成長し豊かな実を付けることはできません。
この状態を人間に例えて、若い頃はまっすぐに上だけを向いて立派に成長し、色々な荒波や苦労を乗り越え、立派な人格を形成した人物は、偉くなればなるほど、頭の低い謙虚な姿勢になっていくという意味として表現しています。
一方で、稲穂の中身が立派なお米に育っておらず、実がスカスカのお米だった場合には重みがなく軽い稲穂になってしまいます。そんな稲穂は、見た目は立派な稲穂に見えますが、穂が垂れるほどの重みがなく、頭が下がってはいません。
稲のこの生態の例えるところは、見た目や肩書きは立派だが、中身が伴っていない人は、虚勢を張って威張るだけの小物であり、人格者とは程遠い人物であるという事を示しています。(出典:https://biz.trans-suite.jp/)

収穫祭について
Q.お子様のご成長につながったことがあれば、教えて下さい
A.収穫に加え、自分で獲った魚をその場で食べるということは普段できないとても貴重な体験でした。
ついさっきまで生きていた魚の命の大切さや、折角の命を無駄にしないために残さず食べることの大切さを学ぶきっかけになったと思います。
自分達は生き物から栄養をもらって生きているんだということを理解し、毎食何気なく食事をするのではなく、感謝の気持ちを少しでも感じながら食べてもらえたら嬉しいです。
逆にお魚がかわいそうだから食べられないという気持ちを合わせ持つことも、その子の感性だと感じました。

収穫祭について
Q.本日ご参加のイベントにて、最も良かったと感じたことを教えてください
A.魚つかみでの満面の笑顔、見ている私まで笑顔になりました。
クロカンでの先生方の応援の声を聞いて、日頃の子どもへの愛情を感じました。
子ども達、いつも幸せな時間を過ごしているな…と、思いました。